気になることがあって、なんと二晩も眠れなかった。ベッドに入れば、コトンと眠れた頃もあったのに、最近の私は不眠症なのだ。薬を飲まないと、とたんに眠れなくなる。こういう夜は、なにしろつらい。眠くなければ、いっそのこと起きて何かをすれば良さそうなものだが、厄介なことに睡魔はちゃんと襲ってくる。ああ、もう眠りに落ちるな、と思って、目を閉じ、布団に潜り込むのだが、いつまで経っても眠いだけで、意識はしっかりあるから困る。
何度も寝返りを打って、まるでのたうち回っているような気分になる。眠くて、眠くて、あともう少しというところで、私の中の何かが眠ることを拒否しているようにかすかに暴れるのだ。ふと「考える」ということについて考えてみた。いや、「考えない」ということについて考えたという方が正しい。眠れない時は大抵何か考えているからだ。
私はつい考える。いつも考えている。それも、「くよくよ」という言葉で表されるようなやり方でだ。お医者さんは「何も考えるな」と言う。では、どんどん浮かんできてしまう考えをどうやったら止めることができるというのだ。睡眠薬に頼るとか、身体を動かす、夢中になることをする、など探せば確かに色々あるだろう。
そうこう考えているうちに、たまたま遠藤周作さんの本を読んだ。そのタイトルも、ずばり「眠れぬ夜に読む本」という。その中に、サンフランシスコのバークレー校分校でのある実験についてのエッセイがある。要は呼吸法なのだが、宇宙の生命体を取り込むように息を吸い、空想の風景を思い浮かべる。そして、その森や林に出てくる動物に悩みや欲することを相談すると、その動物が答えを教えてくれるという。
これは、よく耳にする潜在意識の法則でもあるのだろう。私が面白いと思ったのは、呼吸をすることで「無心」になるという所である。遠藤周作さんは、さらにこの無心、無意識の状態こそが、脳に特別な脳波が出て、そこに良いイメージを描くと、無意識に内在する大きな力を利用できるということを書いておられる。
私は、この無心になる、つまり何も考えない状態に持って行けたら、どんなにいいだろうと思ってこのエッセイを読んでいた。しかし、無になるというのは、かなり高い境地なのかもしれない。仏教などでも、この辺のことを説いているではないか。
それでも、私はなんとかやってみようと、ゆっくり息を吸ったり、吐いたりを何度も繰り返してみた。そのうちに、吐く息がなんだか「はあぁぁぁっ」と情けないため息に変わり、外が白みはじめた頃には、頭の中は雑念でいっぱいだった。結局、考えることを止めることなど、そう簡単にはできないと思った。それができれば、悟りの境地だ。せいぜい私にできるのは、そんな雑念と我慢強くつきあうことなのかもしれないなあ、と今日も息を吸ったり吐いたりしている。 (2002.05.24)
眠れぬ夜と考えないということ